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大会3日目、瓦礫捜索審査。
藤野は朝から苦しそうです。ほとんど食べたものは嘔吐してしまいます。熱もまた出てきました。日本にいるドクターと連絡を取りつつ(真夜中でも対応して下さいました)、普段は救命士として働いているゲラルド氏にいろいろなサポートを受けますが、状態は変わりません。

藤野の出場時間は午後2時15分。午前中は他のチームメンバーが出場するため一度ペンションを出ます。
「もし、体が無理なら棄権しても構わないから・・。」藤野に言い残しました。

ここで棄権することも大きな経験でしょう。しかし無謀だと批判されるかもしれませんが、なんとか出場して欲しいと思いました。それは、いまこの時間ここにしかないもの、後からでは2度と経験出来ないものだからです。

午後12時ペンションに戻ると、藤野は「出動服」に着替えた状態でベッドに横たわっています。
「出れる?」
「・・・・はい・・。」
まともに歩くことが出来ません。チームメンバー全員が手伝ってくれます。支えられながら車の中へ。捜索審査会場はペンションを出て30分ほど山の中を走ったところです。ハザードをつけて車をゆっくり走らせるのですが、カーブが多すぎます。嘔吐、座っていることが出来ず、後部座席に寝た状態で会場に到着。

会場では審査進行が思いのほか速く、決められた時間よりも早めに順番が回って来そうです。車を降りた藤野は・・・、自力で立つことも、まして歩くことも出来ません。加えて衰弱した体に「出場しなければ」というプレッシャーが掛かりました。極度のストレスのでしょう、手指が硬直し思う通りに動かせなくなりました。

「棄権になっていい。今すぐ病院に連れてゆく。」

目の前には瓦礫捜索会場、はるか日本から思いを募らせてやって来た世界大会、藤野&アルのペアにとっては最初で最後となる世界大会。しかしすべてを捨てても病院行かなければなりませんでした。藤野の状態は深刻でした。

「午後4時までにもう一度ここに戻って来い、そうしたら審査をしてあげよう」強面の瓦礫捜索審査員ヨス氏が通訳の島津氏の交渉によって最大限の譲歩をしてくれました。(本来、世界大会は出場時間厳守です。)他国の出場者も心配して声を掛けてくれます。大変な状況の中、国を超えた人々の思いやりを感じます。

しかし車の中から見える「帰り道の景色」。おそらくこの風景を見るのはこれが最後になるだうと感じていました。
時間は午後1時を回っていました。治療を終えて会場に戻ることは不可能でした。

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